谷口庄一  都市環境プランナー/脚本家

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谷口庄一 都市環境プランナー/脚本家

もとはこちら、そのままけっこう

 私は初孫だということもあり、小さな時から大工の棟梁をやっていた祖父に建築現場に連れ出されていました。現場では厳しい祖父でしたが、怒鳴り散らすようなタイプではなく存在に威厳のある人でした。その祖父が私に教えてくれた事に、「自分は人があってこそ自分があるのだ」と言う事を忘れるなということであった。「どんな事があっても1日千回『もとはこちら、そのままけっこう』」と唱えれば気分が落ち着くと諭されました。子供の時代には、その意味するところが全く分からなかったのですが、ランドスケープデザインという仕事をするようになり、利用者に愛される公園や風景を計画する際に「もとはこちら、そのままけっこう」という言葉が響くようになりました。
 ランドスケープデザインは自然の風景と人が対話するところから始まります。人が入る事でどのようになるのかを考えていくと、必要以上に手を加えず最小限の構造物で収まることが最適な解となる。しかし、設計者にとって何も作らない計画をつくると言うのは勇気のある選択なのです。また、ランドスケープデザインは一人で作業をするものではなく、クライアントも含めたチームで作業を進めるものなのです。また、関係する地域の人たちとも対話を行っていかなければなりません。もともと何もなかったところに計画を作っていくわけです。様々な意見が出てくる中で、プロジェクトの存在そのものを問われる場面も出てきます。そのときに心の中でつぶやく言葉が「もとはこちら、そのままけっこう」なのです。


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GOQ   瀬戸山商会代表

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GOQ 瀬戸山商会代表

シンプル・イズ・ベスト?

 「緑」という言葉の持つイメージは何だろう。例えば木々の葉が緑色だから、緑は広く植物、自然やアウトドアなどを連想する。葉の緑色はクロロフィル(葉緑素)によるもので、爽やかで何かしら良い効果がありそうである。諸外国にみられる「緑の党」といえば、エコロジーや社会福祉を主義・信条とする政党の名前のことだ。英語ではグリーン。グリーンは、緑という色そのものではなく、グリーン購入(環境物品調達)、グリーンマップ(環境絵地図)、グリーンピース(環境団体)、グリーンコープ(会員生協)のように、「環境活動」や「暮らしに対する優しさ」のイメージとして表現している例も多くある。
 さて、私の中の「緑流」を探してみた。直接に環境などとは結びつかないが、多分、これしかないと思う。そう、母親譲りのこれ。物が捨てられないことである。紙袋、空き瓶、ネジ、ガラクタなど、いつか使う日が来ると信じてたまり続ける。別に収集癖があるわけではないが、記憶のある頃にはすでにそうだった気がする。実を云うと、たまった物を使ったことは余り無い。おかしな話であるが、いつか使おうと捨てずにいたのに、使うときにはこれらがもったいなく感じるのである。時々、大掛かりな整理をするものの、結局は位置を変えたり、中味を確認したりするだけで終ってしまう。こんな性分を直すことはできないが、最近では、心を鬼にして捨てる努力もしている。
 今までの話と繋がることだが、生活全般を見て物持ちがいい。電化製品などは別にして、大抵の物なら自分で修理するし、それが好きだ。ジーンズやスニーカー、ジャケットなどは学生時代のものをまだ現役で愛用しているし、車も一度気に入ると長く乗る。だから、失くした物、壊れたため捨ててしまった物をいつまでも悔やむ。特に心が痛むのは、修理代金より新品を買うほうが安いことである。
 いずれにせよ、物に対する執着心が強く、形あるものの永遠性を望み続けている。できるだけシンプルな暮らしを理想とする反面、好きな物に囲まれて暮らす楽しさも格別なもの。一度好きになった物を愛し続け、ずっと大切に使うこと。そんなスタイルが多分僕の「緑琉」かな・・・

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神藤里美  広告クリエイター

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新藤里美 広告クリエイター

先祖から人づてに、私にわたされたもの。

 私の実家は専業農家で、海まで5分という自然が豊かな土地に育った。たくさん収穫した農作物や海産物を、おすそわけしたりされたりする笑顔の似合う地域だ。
 お正月のしめなわ、年末のもちつき、お盆のなす牛、梅干しや味噌づくりなどの伝統的な行事には祖父母が活躍し、一家は上のものに従った。クリスマスケーキ、七夕、お誕生会など、現代的なイベントには父母が活躍して一家をにぎわせた。まず「あるモノは使う」、次に「ないモノは作る」、そして買うことは最後の手段だった。
おのずと、モノづくりの機会に恵まれた。みんなで創意工夫しながら、ひとつモノを作ることの楽しさを何度となく味わった。できあいのモノに対しては「これはどうやって作るんだろう?」「こうやるんだろう」という問答や、「これはいい」「あれはよくない」という批評が、自分でも気づかないほど自然に、頭のなかでされるように訓練されていた。
「モノは手で作る」のが当たり前だった私にとって、テレビ東京系番組の「流行通信」は衝撃的だった。
「えー!この発想力はなに?だれが作ったの?すごいっ!美しいっ!」当時小学生の私は、口をぽっかりとあけて毎週この番組にクギづけだった。以来、私は「モノづくり」に区別がついて、どんどん興味が増していき、いまでは広告の現場でモノづくりに携わっている。

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川村真司  番組ディレクター

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川村真司 番組ディレクター

火加減に学ぶ木加減

 2年前に新築した我が家には、暖房設備として、薪ストーブがある。室内の1階から2階に突き抜ける吹き抜けに沿って煙突がまっすぐに伸びていって、屋根を突き抜けている。薪が燃焼するとストーブ本体と煙突全体が発熱して、家中を暖かくしてくれる仕組みだ。燃材となる薪は建築屋さんから出る廃材を活用する。今の時代、建築業から出る廃材の処分にはもちろん費用がかかる。建築会社にとっても一石二鳥となるわけだ(その代わり、燃材として私たちに供給するわけだから、有害な塗料などを使わないなど日頃から心がけている)。こちらとしても家を建てた、はい、サヨウナラなんて希薄な関係に終わらないところが魅力である。毎日、木を触れていることは心地がよいものだ。
 ストーブの火の着け方は、細い木っ端から少しずつ太いものを加えていく。出来る限り短時間で100度以上の高熱に上げる。のろのろしていると煙突から煙がモウモウと出て、ご近所に迷惑をかけかねない。ちなみに、我が家のストーブ使用の目安は、朝はご近所が洗濯物を干す前まで使用し、夜は、日没後から火を入れる。この薪ストーブのおかげで随分火の扱いは上手くなったと自負している。ナタなどの道具の使い方も堂に入るようになってきたが、何よりも、どんな木が燃え易いか、またどんな燃やし方が効率的かを考えるうちに、木をはじめ、自然に対する自分なりの見方が出来てきた。どこへ出かけるにしても必ず雑木林が気になる。燃材が不足した場合に備え、倒木や折れた枝などのありかをチェックするのだ。昔の人は、雑木林の木や葉っぱを炭焼きや堆肥に利用するなど山の資源を大切にし、共生してきた。その姿がまず皆無となっている現在の里山は悲しくも竹が勢いを増している。自分は、ストーブがきっかけで樹木を見つめるようになったが、ガーデニングや、自家菜園、または日曜大工などから身近な自然へのいとおしさを抱くひとたちは、結構多いんじゃないかと思う。
 以前訪ねたことのある山あいの炭焼き小屋で聞いた話だが、昔の山の子供たちは、外遊びのひとつとして冬枯れの雑木林から枯れ木を見つけて、休耕畑を掘り簡素な炭焼き体験をしていた。山中では樹木の種類や使いどころを見分ける目を養い、炭焼きでは火の扱いを身につけることができるわけだ。おまけに、畑は次の作付けに向けて熱と炭で殺菌効果があるのだという。こうした生きることと直結した遊びというのは、なんとも羨ましい。

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コアラ係長 一瀬戸市民

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コアラ係長 一瀬戸市民

私記こもごも

 私は生まれも育ちも愛知県瀬戸市である。言わずもがな「せともの」で有名(?)なやきものの産地である。小さい頃はあまり意識していなかったが、周りにいる大人の多くはやきもの関連の職人であった。職人といっても苦虫を噛み潰したような顔をした無愛想な人物ではなく、仕事中にもかかわらず地域の子どもたちとよく遊んでくれる存在であった。遊ぶ場所は学校や公園ではなく、もっぱらやきものを作っている工場(こうば)の中であったり、絵付けの内職をしている友人の母親(この人物もすごく繊細な筆さばきをもった職人であった。)の傍らであったりした。つまり、仕事場と生活空間の中に今ほど大きな仕切りがなかったのである。逆の見方をすると、現在は仕事場と生活の場との間には目に見えない壁が存在していて、仕事場に関係者以外の者やましてや子どもがのこのこ仕事場に入り込んできた際には、とっとと摘まみ出されてしまうであろう。
何が言いたいのかというと、我々が子どもの頃は、遊びの中に間接的に大人や仕事場というものが介在し、遊びを通して、刃物や動力機械の危険性を学んだり、職場の微妙な人間関係(親方と弟子)を垣間見て仁義や忠誠心を知ったり、常識という社会のルールを無意識に培うことができたということである。しかし、今はそういったコミュニケーションの機会が減っていて危惧というと大げさであるが、ある意味「もったいない」という気がする。
「もったいない」といえば、モノを大切にするという持続可能な社会の実現のために最も基本的な行動を端的に表現することとして、愛・地球博をきっかけに、今では環境省までもが率先して使用している言葉である。この「もったいない」という概念は、物理的なものの大切さのみに使うのでなく、先に述べたように様々な状況において、常に行動する我々が意識することによって、より効率的、効果的に持続可能な社会の実現に近づけるのではないかと思う。
偉そうにいろいろ書きましたが、とりあえず「もったいない」を意識して、生活や仕事をしてみようかと思います。

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中内祐子  元FM LOVEARTH DJ

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中内祐子 元FM LOVEARTH DJ

代用からのオリジナリティ

 私は幼いころ、母はケチだと思っていた。というか彼女はあまり物を買うのが好きじゃないんだなあと感じていた。今思えば必要以上に物を買わないが彼女のポリシーだったと思う。
 だからと言って、我が家はこざっぱりとまとまっていたわけでなく、おばあちゃんの家以上に包装紙、リボン、紐、古いカレンダー、お菓子の缶や箱、着なくなった服をほどいたものが至る所にあった。ここから彼女のマジックが始まるのである。上質で柄のいい包装紙やカレンダーはいつの間にか封筒になっていて、月謝や町内会の会費なんかをこれに入れて差し上げていた。リボンも気がつくとアイボリーのすだれ式カーテンのアクセントになっていたり、針金のハンガーの形を変えて壁掛けにしたり、母の若いころのワンピースが私の習い事かばんになっていたりした。今でこそ‘リフォーム’が雑誌・TVで謳われるが、一足早くうちの母はモノに第二の人生を与える天才だったと思う。
 ケチくさいなあと思ったことも正直ある。母は「ないから買う」というのがいまいち納得できないらしい。彼女は「ないなら代わりを探して、それでもなければ買う」と常に思っていたようだ。この考えは海外で一人暮らしをしていたときに大いに役に立った。日本食が手に入りにくい地での生活。炊飯器なし。なら鍋でご飯を炊く。和風調味料なし。じゃあみりんはシェリー酒や飴で代用。紫蘇はバジルで、肉まんはピザ生地で作るなど。「何で代用できるか」を考えると結構楽しくてわくわくする。母もそれを楽しんでいたのだ。視点を変えると、可能性が広がる。そこにオリジナリティも存在する。これが私が母から受け継いだものであり、今の自分に反映しているかもしれない。
 もともとあったモノから生まれるオリジナリティ。これぞ私の緑流。

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岩元理恵  プチエネスト

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岩元理恵 プチエネスト

プチエネ

 行動が伴っているわけではないけれど、できるだけ少ない物とエネルギーで粋に暮らしたいと思っている。買うときは捨てるときと心がけているので、私の家は実際の広さ(26平方メートル)よりも広々感はあると思う。家が狭いこと、物がないこともあって、電気やガスの使用量も少ない。
 実は電気とガスの使用量をグラフにしている。代わり映えのしない生活をしていても変化はある。一昨年、冷蔵庫が壊れて買い替えた。そのとき悩んだのは、冷蔵庫は大きさと電力消費量が比例しない点だ。私に必要な大きさは200リットル、だけど省エネなのは350リットル以上というジレンマ。空間をとるか、省エネをとるか。結局のところ省エネを選んだ。翌月、元々少ない電力使用量は半減し、-6%などいとも簡単に達成した。しかし、冷蔵庫が一番大きな持ち物となってしまい、空間構成上は大失敗となっている。視線が抜けるように背の低い家具しか置いていない中で、威圧感は充分だ。
 私の例はかなり特殊だとは思うが、どこでどのくらいのエネルギーを使っているかを知ることは良いと思う。そうすれば、何をしたいからエネルギーを使うのかがはっきりするし、省エネを目的にしてしまうようなこともないだろう。
 「省エネ」は漢字とカタカナの組み合わせで見てくれが悪いし、楽しいイメージではないと思っていて、自分の中では「プチエネ」と変換している。私の目指す小さい暮らしにあっているし、小粋な感じがすると勝手に思っている。

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松本イズミ 植物療法研究家

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新藤里美 植物療法研究家

「香り(匂い)環境を見直そう!」

 匂い(嗅覚)という感覚は本能的である。

 好きな匂い、キライな匂いというものが誰にでもあるが、いわばそれはその人の経験に基づく危機管理の一端なのだ。好きな(快)匂いはその場所やその人が自分にとって安全である、一方キライ(不快)な匂いはその逆で自分に危険を及ぼすかもしれない場所や人などを判断していると考えられている。

 そして嗅覚は育てるもの。

 匂い(香り)の情報をたくさん与えてもらった人ほど発達し、正しい判断を導きやすい。自然の中で育った人は土の香り、草の香りなど無数の香りを嗅ぎわける。しかし都会で育った人は本来、安全と判断するべく香りを化学香料でしか嗅いでいない為、嫌い(不快)と判断し、感覚を鈍られる。(例えばラベンダーの香りをトイレの芳香剤を連想し嫌い(危険)と判断するなど。)豊かな自然の香りを感じ取れないだけでなく鈍った感覚はガス漏れの匂いなど本当に危険な匂いすら判断しにくくなるといわれている。

 育てよう!嗅覚を!

 優れた五感をフル活用して、豊かにそして安全に生きていきたい!

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T.YMMT  森林アドバイザー

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T.YMMT 森林アドバイザー

「100円ショップの誘惑」

 日常生活に必要なものなら殆ど揃う100円ショップ。庶民の見方、大変ありがたい存在である。しかし、店へ入ると目当ての商品を買うついでに、あれもこれもとカートに入れてしまうのだ。何しろどれも100円なんだから。

 店舗を見かけて、用は無くても、ふらりと立ち寄ったりすることもある。

 でも、良く考えてみよう。本当にその物は必要かな?本当は無くてもいいものなんじゃない?日用品、便利グッズなど100円という気軽さに、1品、2品…と結局は1,000円も払っていたりする。

 2000年の初め頃アメリカを訪れた時、アトランタで1-dollar-shopを見かけて驚いた。まさしく日本のそれだと。一部のものは、決して良品(?)とは言えない。中には、安かろう悪かろうの典型もある。世の中にはそれを製造している人がいるから気持ちは複雑。ある意味、使い捨て型の消費行動を助長しているといえる。そんな買い物の後に満足感はない。安くて便利だけれど、心の豊かさは生まれない気がする。ただ、否定できないのは、必要なものを100円で手に入れた充実感があることは間違いないし、その価格とその品質で事が足る場合だってあることだ。そういえば、 100円で買ったのに、ずっと使いつづけていて100円以上の価値を感じているものもある。むしろ問題なのは、次から次へと買いつづけ、留まる事を知らない投げやり的な生活をしてしまうことだ。どうもそんなことを連想してしまう。

 決して100円ショップを否定しないけれど、上手な利用に心がけたいと思う今日この頃である。

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畑中美香  中京テレビプロデューサー

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畑中美香 中京テレビプロデューサー

3つの感覚

 昭和39年製の扇風機。現役で今年も涼しい風を、右に左に送っている。
実はこれ、私の実家(東京文京区)のもの。両親の結婚が昭和38年10月なので、その最初の夏から今も変わらずに頑張ってくれている。
実家では【モノを大事に使う】という事が、至極当然に行われている。私が子供の頃は、靴下に穴が開けば繕い、シーツの地が薄くなってくれば接くのは当たり前だった(流石に今はそこまでしてないが)。あらゆるモノを「まだ使えるのに、もったいない」と言いながら、本当にどうにもならなくなるまで使う。
また、実家は【年中行事をわりと意識した生活】している。お正月・七草・節分にお雛様・・・年末の大掃除までしっかり。特に大掃除は、祖父母の家掃除がなぜか我が家の担当で、12月に入ると家族5人集まり「いつ大掃除にいくか?」「いつ我が家の大掃除をするか?」を決めていた。そしてこの予定は、何事にも優先されるべきものだった。私の掃除自慢は、窓を雑巾と古新聞だけでピカピカに磨き上げられることだ。
【家族の決まりごと】もいくつか確立されていた。先述の掃除もそうだし、他にも「お正月の年越しは絶対一緒」「記念日は絶対祝う」「外泊禁止」など・・・、
「よそはよそ、うちはうち。」と言って、何があっても揺るぎないものだった。

 私の「緑流生活」は、皆さんから見ても特別なことは書かれていない、この3つの感覚を持ち続けた生活のことだ。今は名古屋で一人暮らし。ワガママ勝手にできる事も多い。でも体の芯に染み付いているこの生活感覚、悪くないなぁ。

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町田慈子  i-cafe

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町田慈子 i-cafe

「和の暮らしに見つけたLOHAS」

私は大学卒業後、住宅メーカーに勤務し住宅設計の仕事をしていました。

3年も過ぎた頃、新築住宅を売るということに違和感を憶え、もっと人々のライフスタイルそのものに関わる仕事をしていきたいと思い退社しました。

といっても、思うような仕事はなかなかありません。

その直後、出身研究室の先生が育った町(西区の円頓寺・四間道界隈)の町づくりを研究していることを知ります。ワークショップに参加し、あらためて町の魅力に気づき、私も暮らしながら町づくりに関わることを決めました。

この町は商店街を中心に古い建物や物、雰囲気を大切にしていて、なんといっても温かい人間関係が残っているのです。

まずは自らのライフスタイルを変えようと、以前暮らしていた住宅兼寺院を建て替えるのではなく改装し、町の人々に気軽に立ち寄っていただけるコミュニティカフェを計画しました。2007年4月、“私の幸せ”を見つける場所をコンセプトに、和・LOHAS・町づくりをテーマとしi-caf?をスタートさせます。

雨水を利用してベランダで家庭菜園をしたり壁面緑化を育てたり生ゴミを堆肥に変えたりと、できることからLOHASを始めてみました。

畳の空間を活かしヨガ教室や書道教室、各種ワークショップを開催し人々が出会い繋がる場所になりつつあります。

約1年が経過して思うのですが、畳で膝を合わせ時間を共有することで関係性が近づくのはきっと気のせいではないですね。

自然と心が落ち着き自分を見つめる余裕ができると、相手にも優しい気持ちになる。その延長には、地球を大切に思うというLOHASが当たり前にあるのではないでしょうか。

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児玉記幸  イベントディレクター

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児玉記幸 イベントディレクター

「山は大きな冷蔵庫」

 日本には「風土」という言葉があります。
ひとつの土地には、風の人(外から来た人)と、土の人(地元の人)がいる。互いの知恵や技があわさり、その土地の風景や文化、生活がつくれらていく。
地元学の世界ではこのような表現をします。

田舎旅が好きだった僕は、その言葉を聞いたとき、単純に日本っておもしろい!日本の風土を感じられる旅をもっとしたい!と思いました。

縁あって、秋田県は奥羽山脈に囲まれた小さな山里、マタギ発祥の地と呼ばれる集落に、四季を通じて3年ほど通ったことがあります。

その土地は、過疎化高齢化で今危機的な状況に立たされていましたが、先人達から受け継いできた山の知恵や力を絶やさぬよう、生きている人たちがいました。

私の知人が言った印象的な言葉があります。
「マタギは山を大きな冷蔵庫のように大切にし、決して絶やしてはいけないものを知っている。」
「そして山を守るため、自分の身を守るための多くの知恵を持っている。」と。

そんな想いをもって今日も暮らしている人がいます。
さまざまな暮らし、そこからできた何千・何万という小さな風土の集合体が、日本の国の姿ともいえます。

春夏秋冬、季節を通じて彼らから学んだこと~私の中の緑流。
それは、僕の暮らしそのものが、今住んでいる町の風土をつくっているということ。

自然と人の関係、町の環境に対して僕にできること。
小さなことでも、できることからはじめています。

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そうる日下 日曜シンガー

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そうる日下 日曜シンガー

「GREEN AGE」

 最近、スローライフという言葉をよく耳にします。世間には仕事にプライベートにと、兎に角スケジュールが詰まってないと落ち着かない人もいますが、本当のところ多くの人は、日々周りのスピードに翻弄されているのではないでしょうか。

 多分、スローライフって心の持ち方に大きく左右される、ごくパーソナルな問題だと思います。僕もそんなことを考える歳になりました。

 さて、今から4年ほど前に「GREEN AGE」という曲を作りました。実はこの曲、第27回全国育樹祭(2003.10.26)のサポートソングとして作った曲なのですが、緑流に通じる何かがあると思うので、紹介させていただきます。

GREEN AGE

意識して立ち止まってみること

それがなかなか難しいんだ

空の青さに気づいた日

生きる喜びを感じたのさ

そんなに急ぐ必要なんてない

季節の変化をみつけるのさ

GREEN AGE・・・

毎日が足早に過ぎていく

いつも時間に追われている

ゆっくり育つ木のように

じっくり時間と向かい合う

穏やかな気持ちで暮らすこと

まわりに流されない生き方

GREEN AGE・・・

今、この広い宇宙で君と出会った意味を思う

だから、大切にしたいことが沢山あるんだ

あきらめた訳じゃないんだ

夢も持ってる やる気もあるさ

頑張ることをやめただけ

何が幸せか分かったんだ

少し不便がちょうど良い

心の中を流れる気持ち

GREEN AGE・・・

詞・曲/そうる日下

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